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江蘇省・沭陽県での民俗調査に同行して

1. はじめに
 8月22日~9月2日まで,「文化資源学フィールド・マネジャー養成プログラム」で派遣された山本恭子さんに同行して,中国を訪問した。前半は北京での資料収集,後半は江蘇省北部農村地帯での民俗・方言調査を目的としたが,ここでは後者について報告する。
 調査地は江蘇省連雲港市の西南に位置する沭陽(shuyang)県。私は8月31日に現地を離れて北京経由で帰国したが,山本さんはさらに北の隣県である東海県に移動して調査を続けた。彼女からも後日,報告があることと思うが,私は沭陽での収穫を中心に報告したい。
 私の最も重要な役割は,現地受入れ責任者である徐州師範大学の蘇暁青先生と連携して,山本さんの調査を円滑に遂行させることであった。蘇先生とは,1997年にこの地域での方言調査を実施して以来の「同じ釜の飯を食った」旧友であり,2009年には連携融合事業日中無形文化遺産プロジェクトの一環で金沢にもお招きし,講演をしていただいている。
 そういう関係で,山本さんは2008年,2009年と2回,蘇先生のお世話で徐州地域の民俗調査を実施しているが(いずれも大学院GPの経費による),今回は,ちょうど蘇先生が学生を引率してこの地域の方言調査を実施していたため,その隊に加えていただくことになった。7月に蘇先生から「沭陽県と東海県とどちらに行きたいか?」と尋ねられて,迷わず「沭陽県」と答えた。理由:

  1. 私は沭陽県に行ったことがない。東海県なら1980年に最初に調査を実施して以来3回訪問したことがある。
  2. 東海県は中国の主要鉄道・龍海線の沿線にあり,交通の便がよい。一方,沭陽県は最近鉄道が通ったが,江蘇省の最貧県と言われており,いざという時は移動が不便である。どうせ同行するのなら,こっちの方がよかろう。

2. 沭陽県へ
 8月27日夜のCA便で北京から徐州に移動。蘇先生のお出迎えを得て徐州泊。但し,翌朝6時23分発の列車に乗るために5時起床。ところが駅は新学期のために郷里から各地の大学に出かける学生が多く,ごったがえしていた上,列車は1時間以上遅れた。この列車は蘭州発,泰州行き。つまり1000km以上も運行する列車なので,各駅で乗車に手間取れば,通算して1時間程度の遅れが出るのは必然である。やっとの思いで乗車したら,自分の坐るはずの席は,指定券をもたない5人の子供を連れた婦人に占有されていた。結局,6人がけの所に9人(大人4人+子供5人)が坐った。"高速鉄道"ができた現在もローカル線はまったく昔と変わっていないのである。「なんで増発しないのか?」「なぜ近距離列車を走らせないのか?」「高鉄もいいけれど,ローカル線の整備はもっと大事ではないか?」というのは"日本の常識"であるらしい。
 5人の子供達は車窓から山や川が見えるたびに大声を上げている。山などそこら中にある日本と違って,当地は一面の平原である。中でも"小胖子"と呼ばれる男の子はずっと立ちっぱなしで,「もし僕がデブでなかったなら♪♪」などと口ずさんで屈託がない。祖母とおぼしき婦人が,私の方を指差して「ちょっと静かにしなさいよ。あなたのせいでこの人の席がなくなったのよ」とおっしゃる。「おいおい,席を譲らなかったのはあなたでしょ?子供のせいにするなよ」と言いたかったのですが,"小胖子"君のお蔭で気が紛れたわけですからよしとしましょう。
 沭陽まで約2時間。駅に着くと教育局(日本の教育委員会に相当)の劉副局長が直々に出迎えにみえた。今回の調査はすべて現地の教育局の手配によった。
 沭陽県の人口は180万人と聞いてたまげた。事実,市街地の風景は,私が中国の県城に対して抱いていたイメージを壊すものだった。高層ビルの数は金沢市に匹敵するであろう。蘇州地域など,もっと富裕な南方の農村部では,伝統的な村落を解体して高層の集合住宅を建設しているから(この政策は農民の評判が必ずしもよくないようである),"最貧県"でもこの程度になるのは当然かもしれない。「本当に江蘇省でビリなのですか?」と尋ねてみたら,90年代まではそれが事実で,辣腕の党書記が赴任して以来,総生産が向上し,今では江蘇省第三位だそうである(ちなみにこの書記は現在,雲南省の副省長だそうだ)。但し,人口が多いので,一人当たりの生産額ではまだ下位とのこと。主な産業は,薪と木材,草花と聞いた。

3. 民俗調査
 徐州師範大学の大学院生たちは,7名が3班に分かれて前日から調査を進めていた。"野外調査"といっても,調査はホテル内で行なわれ,インタビュー対象者はほとんどが教育局の手配で派遣されてくる退職教員であった。彼等が用いた調査票は,1997年に蘇先生と私が共同で作成した語彙・民俗調査票を基礎に,字音(漢字の発音)を確認するための大量の漢字が加えられたものであった。私達のかつての調査では,語彙・民俗項目を聞くのに3時間近くの時間を要したが,今回,語彙・民俗は1時間ほどで終了,あとは字音の録音に使われていた。これには二つの原因がある。

  1. 調査者の中国語運用能力の差異。加えて,徐州師範大学の大学院生たちは江蘇省北部出身の学生も多いため,方言の聞き取りも容易である。
  2. インタビュー対象者の差異。1997年の調査では学校の先生を依頼せず,学歴は多数が中卒以下であった。今回の漢字リストには難しい字も多く,学校の先生はすらすら発音していたが,そうでなければ相当の時間を要したであろう。

 一人当たりの平均調査時間は3時間半程度,1日に二人できるからこれは極めて効率がよい。
 民俗調査の部分は,冠婚葬祭に関する基礎的な事項をならべたものである。これだけでも民俗に関する地域差が明らかになることが経験的にわかっている。
 これに対して,山本さんの調査票は葬礼に的を絞ったもので,質問項目は20世紀前半以前の伝統的習俗と現代の習俗について,過去2回の調査を踏まえ,微に入り細に入り設定されている。中国人が調査したとしてもおそらく3時間は必要とするだろう。出発前は,私が要点を通訳すれば足りるとも考えたが,それほど甘いものではなかった。山本さんが以前お世話になった徐州師範大学日語系の若手教員,房倩さんに通訳として同行していただいたのは正解であった。方言調査は,もし漢字の発音だけであれば,中国語ができなくても可能ですらある。対して,民俗調査は,高度の聞き取り能力が必要である上,もし方言で話されたら現地出身者でないとスムーズにいかない。
 8月28日現地到着の午後から葬礼に関する聞き取り調査が始まった。来て下さった方は,退職教員ではなく,コックということだったが,幸い「地方普通話」(地方なまりの標準語)で話してくれたので,私でも大体は聞き取れた(途中で奥さんから電話が入った時は完全に方言にスイッチされていた)。ということは,かなりの知識人なのだろう。
 ところが,話が一時間を過ぎた頃からだんだんフォローできなくなった。山本さんの質問は,葬儀の開始から時間を追って尋ねていくのだが,相手の話がよく飛ぶし,途中で前言を修正することもある。また,現代のことを述べているのか,伝統的な葬礼がなお生きていた過去のことを述べているのか,また,県城のことを述べているのか,周辺の農村部のことを述べているのか,等々がごっちゃになってしまうからである。ただ,これだけスラスラ答えられるというのは,よほどその道に通じた人であるに違いない。山本さんと房さんのコンビは実に粘り強く,丹念に尋ねていた。そういうわけで,時間が足りず,翌々日,同じ人に補足のインタビューをすることになった。
 調査結果については,いずれ山本さんが報告するはずである。私が得た感想は,伝統的な葬礼は近代化,簡素化の流れにも関わらず,手を変え品を変え,したたかに継承されており,少なくとも農村部では健在であること。人の死は物理的な死とはイコールではない,因って死に関する儀礼もさほど簡単に消滅するはずがない。

4. 淮海戲の見学
 30日の晩に,教育局の曾善忠先生から"淮海戲"を見に来ないかと連絡が入った。この先生は,今回の徐州師範大学の調査について人の手配を仕切って下さった方である。まだ40代前半と思しき若さだが,校長の経験もあり,根っからの教育者タイプで,親近感を覚えた。
 淮海戲は江蘇省北部の伝統劇で,名前はよく知っているが,実際に見たことがない。もう9時近くなので,こんなに遅くでも劇場がやっているのかと思ったのだが,これは誤解で,実際に見たのは市民の大道芸であった。劇団による淮海戲は90年代以降廃れてほとんど上演されていないそうである。
 まずは,橋の上で,中年の男女がマイクを持ち,掛け合いで歌いながら踊っている。何を歌っているのか聞き取れないが,とにかく楽しい。しばらくしたら,自転車で曾先生が駆けつけて,別の場所で市民が集まっているから来てくれと言う。本当は9時前に終了するのだが,「『北京語言大学』の教授が地方文化の視察に来た」(私はその大学の客員教授なのでこれは嘘ではない)という触れ込みでわざわざ集まってくれたのだそうだ。こちらは,太鼓,拍子木,鈸,銅鑼,二胡,それに淮海戲を特徴付ける三弦の生演奏付きで,三人の婦人がそれぞれ一曲ずつ披露してくれた。いずれも踊りながら楽しそうに歌っている。こっちまで踊りたくなるほどだった。

 


5. 方言調査
 そういうわけで,葬礼も民間芸能もさっぱり歯が立たないと悟ったが,学生達がやっている方言調査を傍聴させていただいたら,やはりおもしろかった。
 例えば,沭陽方言には異なる二つの声調体系が存在することを知っていたが,その二つが隣接する地域には,過渡的状態の声調体系が現われるに違いないと予測していた。私の唯一の得意技はこの種の予測であるのだが,今回も果たしてその通りであった。聞かせていただいた4地点の方言のうち,3つまでがその種の過渡方言であり,5種類の声調のすべてが上昇調又は高平調で,下降調が一つもない。これは大変珍しい体系である。例えば標準語(北京語)には,高平調(1声),低曲折調(3声),上昇調(2声),下降調(4声)があり,相互に音域とピッチ変動に関して適当な距離を保っているので,学習もさほど困難ではない。ところが,今回聞いた沭陽方言では,下降調がないので,低曲折調一つ(標準語の3声に似る)を除く4つの声調が高音域の狭い所に集中しており,弁別が難しい。方言の過渡的地域ではしばしばこのような変わった現象が起きる。注意していただきたいのは,以上は単音節語を単独で発話した場合のことで,二音節語になると下降調が現われることである(Tone sandhiと呼ばれる現象)。
 ナマの方言音を聞いたのは2000年以来久しぶりのことだった。もう年で,耳も衰えているので,フィールドワークはやめにしていたのだが,こういう発見があるとやはり興奮する。
 学生たちは録音に追われて,こういうおもしろい現象があることにほとんど気付いていないようだった。ある晩,蘇先生から即席のレクチャーを依頼され,声調のことにも言及したのだが,結局,データの分析で蘇先生のお手伝いをすることになりそうである。

6. おわりに
 わずか4日間の滞在だったが,山本さんの調査も順調に終了し,私自身も収穫があった。ただでさえ学生の指揮で忙しい蘇先生に多大なご負担をおかけした。教育局の劉局長,曾先生,泊りがけで通訳を務めてくれた房倩さん,さらにインタビューに応じて下さった皆さんにも心から感謝申し上げたい。調査に参加していた学生達ともすっかり顔なじみになった。中国の学生は,最近ではかなり多様化しているものの,教員に対しては一様に礼儀正しい。それも従順に教員の言い付けに従うのではなく,適度に自己主張もする。彼等の温かみを感じるにつけ,こういう楽しい調査ならもう一度来てもよいなと思った。

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