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韓国の「救済発掘」
7月末からの韓国滞在での活動は多岐に渡りましたが、ここでは韓国の「救済発掘」について紹介しようと思います。日本で「土木工事等の開発にともなって失われる遺跡を記録保存するための発掘調査」を「学術目的の発掘調査」に対比させて「緊急発掘」や「行政発掘」と言いますが、そうしたものに相当するのが「救済発掘」です。韓国の研究者が言い習わしている表現で、英語圏で同様の調査をSalvage Archaeology、Rescue Archaeologyと言うこともあるので、その語感に近いものがあります。そうした調査の特徴のひとつは、工事の規模に伴い調査区が広大になることもあり、そうした規模の調査ならではの発見があることです。今回の滞在中、私が参加した韓国南西部・全羅南道長興郡の発掘調査現場も、工業団地造成のためにひとつの丘陵を丸ごと調査するほどの規模で、その副産物として、この丘陵に数メートル間隔で所謂「ハンジョムユーグー(直訳すると「陥穽遺構」)」が構築されていることが確認されました。その模様の一端は調査主体である大韓文化遺産研究センターのホームページでみることができます。
韓国にはこの大韓文化遺産研究センター(大韓センター)と同様の調査機関が80弱、存在します(答える人によって数字が違うので、誰も正確な数を把握できない状態なのでしょう)。京都大学の吉井秀夫先生のエッセイによると、ゼロ年代中盤で40前後だった、ということなので、ここ数年に限っても増加の一途を辿っているようです。また、同じく吉井先生のエッセイにも書かれているとおり、こうした調査を請け負う調査機関は、1)日本の「○○県埋蔵文化財センター」といったように地方行政組織の外郭団体という形態ではない、2)発掘調査終了後(終了日から)2年以内に調査報告書を刊行しなければならない、3)刊行できなかった場合には新規の調査が許可されないという規定が厳格に適用される、そのため、常に存続のための緊張感にさらされているとも言えます。大韓センターの研究者は報告書の執筆も発掘調査と掛け持ちで進めている状態でした。このように調査機関を取り巻く環境は日本と異なるところがありますが、発掘調査現場に入ってしまうと、日本での光景とさして変わりません。作業員さんは中高年のご婦人方がほとんどで、作業中は、時に親以上に年齢の離れた方からソンセンニン(先生)と呼ばれることに戸惑いながらも、休憩時間中はそのオモニ(日本語では「おふくろ」が最も近い語感でしょうか)達からの農作物・菓子などの差し入れにお世話になることも多い、というのも変わりませんでした。そうした時はほんの一瞬ですが、日韓の「救済発掘」を取り巻く様々な問題を忘れることができます。