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メコン平原の大型遺跡ゴータップ遺跡の総合研究プロジェクト


図1 運河が網の目のように走る
ドンタップムオイの光景(1995年)

図2 雨期に大冠水した
ドンタップムオイの水田域

 オッケオ(Óc Eo)文化という考古学文化が、ベトナム南部のメコン平原(通称メコンデルタ)で設定されています。これは紀元1世紀頃から7世紀頃にかけて同地域で栄えた初期国家"扶南"の考古学的文化とされています。この扶南は、東南アジアの初期国際交易において活躍した国家で、標準遺跡であるオッケオ遺跡では、漢の 鏡やローマ金貨なども出土しています。

 しかし、文字資料(漢文資料や碑刻文)が決して豊かでない、この扶南の実像はわからないことだらけです。

 ドンタップ省のゴータップ(Gò Thấp)遺跡は、カンボジアからベトナムにまたがるドンタップムオイ(Đồng Tháp Mười)地域という大低湿地帯に眠る巨大な複合遺跡です。ドンタップムオイ域(図1)は、カンボジア側から流れ込む河水のため、雨期には海のように大冠水するところで(図2)、2-30年前まではチャム(Tràm: Melaleuca sp.)という木が群生する人家も疎らな湿地帯でした。ここに開拓農地化の手が伸びるようになったのは、南北ベトナム統一後の1980年代からで、それからオッケオ文化の遺跡が次々に発見されるようになりました。そのなかにはロンアン省のゴーハン(Gò Hàng)遺跡のように、貴石製ビーズや金製装飾品など目当ての盗掘などで、破壊・消滅に至ってしまった遺跡も少なくありません。

図3 ゴータップ遺跡遠景


図4 ゴータップ遺跡発見のK5碑文

図4 遺跡中央部も森林に覆われています

図5 ゴータップムオイ地点の遺跡露出展

図6 ゴーバーチュアスー地点の遺跡露出展示

図7 ゴータップ遺跡Đìa Phật域出土の木製仏

図8 ゴーミンス−地点の遺構全景

図9 試掘抗での土壌サンプル採取

図10旧発掘抗を利用した再精査作業


 ゴータップ遺跡(図3)は、フランス植民地時代に5世紀頃のものと考えられる碑文(有名なK5碑文で現在ホーチミン市歴史博物館に展示:図4)が発見されて以来、その存在が知られていましたが、本格的発掘調査が行われるようになったのは他遺跡同様、1980年代からです。幸いなことに当遺跡周辺はチャムの木が覆い繁る豊かな森林帯で、遺跡兼自然保護区としての保護域に指定され、大規模な破壊を免れて現在に至っています。遺跡の面積は約300haあるとされ、レンガによる大規模な建築基壇遺構や居住址が眠る大型複合遺跡で、紀元5−7世紀頃の都市遺跡的存在なのかもしれません。しかし、その正確な範囲や時代別の遺跡分布状況は、まだつかめておらず、今後の正確な調査研究が待たれている状況です。

 遺跡区の中心には、タップムオイ(Tháp Mười:図5)とバーチュアスー(Bà Chúa Xứ:図6)という二つの建築基壇遺跡が発掘調査され、覆い屋を持つ保護展示区となっています。

 また、この遺跡の北方にはĐìa Phậtと呼ばれる低湿地帯があり、そこでは木製仏像が多く発見されています。この仏像群の一部はホーチミン市の歴史博物館にも一部が展示されています(図7)。年代は6-7世紀頃と推定されており、東南アジア域では最古の木製仏像例ですし、アジア全域においても最古例になるかもしれないという大変貴重なものです。

 2003年に私は、仏教考古学、そして当地域の歴史考古学で活躍中のレー・ティ・リエン(Lê Thị Liên)博士に要請されて、このゴータップ遺跡のゴーミンス−(Gò Minh Sư)地点という大型建築遺跡が眠ると想像される小丘の裾野で、小規模な発掘指導を行いました。発掘では当地域の資料としては初めてとなる火葬墓が確認され、さらには石製神像(プノムダー様式か?)の基部も出土しました。

 そして2009年にゴーミンス−地点の中央部に眠る建築基壇遺跡域の発掘調査が行われました。1000㎡以上に及ぶ発掘で大型の基壇遺構が明らかになりました。ただし、この発掘調査は遺構の構造や層位理解などにおいて精度のよいものではなく、より正確な調査が必要でした。当遺跡の調査のみでなく、ベトナムで行われている基壇遺跡などの大型遺構や遺跡の発掘調査は、その正確さや資料化の度合い、構造把握や編年的位置づけなどにおいて色々な問題も多く、後世の人たちに残す資料としては不十分なものが多いのです。

 こうした状況の中、レー・ティ・リエン氏と私はゴータップ遺跡の総合的な調査を行って、メコン河下流域の紀元1000年紀の文化・歴史解明の礎を築くことにしました。また、この計画には同地域で活躍する若手研究者の育成ということも掲げ、次世代のベトナム人や外国人研究者のフィールドスクールとしての役割を果たすことにしています。

 そして、2011年度の5月から当遺跡(図8)の再精査に取り組んでいます。再精査は遺跡保護の観点から、特に新たに発掘坑を設けて行う発掘調査は行わず、既存の発掘坑や遺構面を精査し、図面化するということに集中しています(図9)。また試掘抗を利用した古環境調査も始めました(図9)。ベトナム考古学院のグエン・ティ・マイ・フオン(Nguyễn Mai Hương:植物考古学、古環境研究担当)とホーチミン市人文社会科学大学のグエン・ティ・ハー(Nguyễn Thị Hà)講師に参画してもらい、若手研究者のハー・ティ・キム・チー(Hà Thị Kim Chi:ホーチミン市人文社会科学大学)とグエン・ティ・ハ(Nguyễn Thị Hạ:ホーチミン市人文社会科学)、グエン・ドゥック・ビン(Nguyễn Đức Bình:考古学院)、鈴木朋美(早稲田大学大学院)、レー・ティ・ハウ(Lê Thị Hậu)さんなどが参加しました。

 日中35度を超えるような炎天下での遺構研究(図10)は、正直言って肉体的に大変きついのですが、全員の一致協力した体制でかなりを完遂することができました。また実地研究による若手研究者の成長にもみるべきものがありました。来年度は、参加する若手研究者に試掘調査を行ってもらい、総合的発掘調査の一翼を担えるようなフィールドスクールにしたいと考えています。

 <参考文献> Lê Thị Liên 2006 Nghệ thuật Phật giáo và Hindu giáo ở Đồng bằng sông Cưủ Long trước thế kỷ X.(10世紀前のメコン平野における仏教・ヒンドゥー教芸術)Nhà xuất bản thế giới, Hà Nội.
























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