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2.雲南ラフ族の招魂儀礼ハクヴェ
アユ村の夜が明けました。時計を見ると7時ですが、辺りはまだ暗いです。前にも書いたとおり、北京時間(時計の時間)と雲南の生活時間とが合っていないので、朝は暗く、夜は遅くまで明るいことになります。
昨晩は「書記」の息子の部屋に泊めてもらいました。書記の息子はもう何年も「フージン」(福建)に働きに出ています。先日の春節(中国正月ですが、ラフ族も同時期に正月を祝います)に家に帰って来たそうです。ラフ人の娘さんを連れて。中国の役所で結婚証を作りましたが、ラフ族の儀礼としての婚礼は先にのばしたそうです。ふたりで福建で働いて、1年か2年後に大きな豚をつぶして、ラフ族の婚礼をする予定です。
私が外に小便に出て部屋に戻ると、しばらくして家の人が活動を始める音が聞こえてきました。台所に行くと、おばあちゃん(書記の義母)が炉の火に当たっていました。書記は豚に餌をやる準備をしています。奥さんが留守なので、忙しそうです。私は散歩に出ることにしました。
別の方向に歩いて行くと、ある家に人びとが集まっています。見知った人に聞くと、朝に「ハクヴェ」(招魂儀礼)がおこなわれたとのことでした。
私がむかし大学学部時代に人類学を学んだ先生は、フィールドワーク中に毎朝散歩するのを日課にしていたそうです。するとその日にどの家で何がおこなわれているか、掴むことができるということでした。今日の招魂儀礼は早朝からおこなわれたようで、すでに鶏をつぶして儀礼司式者の祈祷も終わって、お客がご馳走を食べるところでした。もっと早起きしていたら、儀礼をちゃんと見ることができたかも知れません。
ラフ族は、心身の不調や不運がつづいた場合、魂(オハ)が身体を離れているためだと考えることがあります。そのような場合、身体を離れてさまよっている魂を、家にいる本人のもとに呼び戻す儀礼をおこないます。鶏をつぶし、竹で編んだ籠にさまざまな物を入れて、呪医(モーパ)がさまよっている魂に、戻ってくるようにと言葉を唱えます。
魂を呼び戻す一連の儀礼行為のあとに、やって来た客たちが、魂の離れているとされた人の手首に「アムケ」と呼ばれる糸を巻き付けます。そして客たちは、つぶした鶏の肉で作られたごちそうを食べます。肉料理はごちそうです。
私がその家に行ったとき、魂の呼び戻しも、アムケを結ぶことも終わって、客たちは酒を飲みながらお喋りし(中国のラフ族はしじゅうお酒を飲んでいるように見えます)、家のひとは食事の準備をしていました。
家に入り、儀礼のあとを見せてもらいました。中国のラフ族にも、いろいろな祭祀の流儀があり、村によってやり方が異なる場合がありますが、アユ村は「焼香する者」(シャトゥパ)を名乗ります。村を見下ろす斜面の藪のなかには「焼香場」(シャトゥク)と呼ばれる、村落全体のための祭祀場があり、「焼香者」(シャトゥパ)という祭司がそれを管理しています。同時に各家にも「焼香場」があり、その家を安寧と繁栄をつかさどる役割をもちます。家の「焼香場」は、その家の「家主」(イェシェパ)が管理します。
今朝おこなわれた招魂儀礼は、この家の若い男のためのものでした。男の右手首には、すでにアムケが巻かれていました。魂を呼び戻したあとで、儀礼の司式者が巻いてくれたのでしょう。アムケは、白黒の綿糸を縒って作られています(写真3)。
招魂儀礼全体は、私が以前に調査したタイ国の赤ラフ族(ラフニ)と同じようなものです。しかし、白黒のアムケはタイでは見たことがありません。そこにいた呪医の弟に聞いてみると、招魂儀礼の時には白黒のアムケを用い、春節や「善行をなす」儀礼などの時には白のみのアムケを用いるのだそうです。「善行をなす」(ボテヴェ)儀礼は、やはり人びとが心身の不調や不幸の連続にあったときにおこなわれる儀礼ですが、「招魂儀礼と善行をなす儀礼とは違ったものだ」と、呪医の弟は言いました(「善行をなす」儀礼については、後日また別稿でお伝えしましょう)。
鶏肉スープのご馳走ができ、庭に設けられた食卓に私もよばれました。途中、書記が姿を見せましたが、お客である私がごちそうにありついたのを見て、安心したように帰ってゆきました。ホストとして、お客さんのために、ごちそうを用意する心配がなくなったためでしょう。
この日はたまたま近くのハニ村から、ハニ族の男がバイクでやって来ていました。アユ村のラフ人たちが自家蒸留したお酒を買いに来たのです。ハニ族の男は、とても流暢というわけではありませんでしたが、ラフ語を話します。
私が調査したタイの赤ラフ人は、自分たちでお酒をつくらず、近くのアカ族(ハニ族の一支系)から買っていました。中国と違って、タイではお酒の自家醸造は法律違反です。タイのアカ族は、森の中でこっそりお酒をつくっていて、税金を逃れたその密造酒を、私が住んでいた村の赤ラフ人はまとめて買ってきて、村で売っていました。ひとつの例から一般化はできませんが、中国のアユ村ではラフ族とハニ族と役割が逆転していたのです。
食事中、儀礼を司式した男が、私の碗に鶏の腿肉をよそおってくれました。そうしながら、「食べたあと、その骨は捨てるな」と言いました。つぶした鶏の腿骨を使って、この儀礼で問題は解消されたのか、さらにより大きな儀礼が必要かを、あとで占うためです。
儀礼を司式したその男は、通常村で「モーパ」(呪医)と呼ばれる男ではありませんでした。先ほどの呪医の弟が同じ食事のテーブルにいたので聞くと、「この村ではモーパをできる者が4~5人いる。おれもできる」とのことでした。儀礼のやり方と唱える言葉を知っていれば、招魂儀礼を司式することができるのです。
最初に、儀礼の司式者が鶏腿骨を検分します。ほかの人たちは、司式者を取り巻いて、真剣そうに見ています。たまたま来ていたハニ族の男も同様です。ハニ族にも鶏腿骨占いがあるので、何がおこなわれているかよく分かっています。
儀礼式者はだいたい最初に鶏腿骨を見ますが、司式者ひとりだけで占うわけではありません。司式者がひととおり鶏腿骨を見終わると、次の人がそれをもらい受け、同じように検分します。鶏腿骨を見るのは、ものをよく知っているとされる長老格の男たちが多いですが、一般に男より人数は少ないものの、女性が鶏腿骨を見ることもまれではありません。これらの人たちのあいだを鶏腿骨が回されてゆき、だんだんと最終的な判断が形成されます(写真6)。
招魂儀礼もひととおり終わったので、私は書記の家に戻ることにしました。帰りしなに、先ほどの家の門の両側に、葉の付いた枝と線香が一対ずつ挿されているのに気づきました(写真7)。おそらく儀礼司式者は、最初に戸外か門のところで、魂を呼び戻す言葉を唱え始め、だんだんの家の中の方へ移動していったのでしょう。こうして魂を少しずつ主のもとへ導いていったのだろうと思われます。そして、司式者が家に入ると、来ていた人たちに、「(魂は)帰って来たか?」と尋ね、人びとは「帰って来た!」と一斉に声をあげます。心身の不調を訴えていた招魂儀礼の対象者の男は、儀礼のあいだ家のなかで待っていて、司式者の差し出す水を飲んだことでしょう。
今回は招魂儀礼を半分しか見ることができませんでしたが、次回はもっと早起きして、全部見たいと思います。
それではまた。