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石の国アルメニア
写真3:
セヴァン湖のほとりにあるハイラヴァンク修道院
セヴァン湖のほとりにあるハイラヴァンク修道院
表題の「石の国アルメニア」は、私が抱いているアルメニアのイメージです。首都のエレバンに入るとまず目に付くのが、薄ピンク・茶色、灰色のトゥフ(凝灰岩)で作られた建物です(写真1、2)。トゥフは火山活動に由来する岩石の一種で、火山の多いアルメニアではこうした岩石がよく発達し、エレバン近郊でたくさんとれます。トゥフはアルメニアの伝統的な石材であり、古代から利用されてきました。アルメニアの大切な文化財である教会(写真3)やハチュカル(十字架石:写真4)などに使われています。
週末には、街中の広場で市場が開かれます。お土産、古書、雑貨、さらには調査機材まで何でも売っています。ここでも準貴石であるメノウやカーネリアンなどアルメニア産の石材で作られた装飾品をたくさん見かけます。そして、アルメニアを代表する石に黒曜石があります(写真5、6)。火山ガラスである黒曜石には、黒色以外にも、銀色、赤茶色、それらのまだら模様など、様々なものがあります。古代においては、その鋭さと加工のし易さから利器として使われました。今では、ペンダント、置物、灰皿などに加工された土産物に利用されています。
石材だけではありません。アルメニアはエレバンの位置するアララト盆地を除いて、国土の大半が丘陵や山々です。多くの場所で樹木のない岩山が広がっています(写真7)。こうした景観も石の国アルメニアのイメージを強くします。
私とアルメニアとの関わりは今年でちょうど10年になりました。毎年、調査のために短期間滞在していましたが、今回のような長期滞在は初めてです。私がはじめてアルメニアを訪れたのは2003年でした。アルメニアの第一印象は、「ソビエト風な国」、でした。建物、町の雰囲気、外国人に対して閉鎖的な振る舞いなど、旧ソ連邦の国らしいと感じたものでした。それから10年経ち、首都エレバンもずいぶん変わりました。新しい高層ビルができたり、外国のブティックが立ち並ぶ通りが増えたりと都会になりました。また10年前に比べ、人々のみなりや雰囲気もずいぶん変わりました。あか抜けてきた気がします。
今回滞在してみて再発見したのは、アルメニアの治安の良さです。まず犯罪らしい犯罪を見聞きすることがありません。夜遅くに出歩いていても危険を感じることがあまりありません。治安の良さは、国家権力が「重たい」国によくみられる傾向ですが、アルメニアでは、人々の社会的モラルがよく守られているおかげでもあると感じます。周知のとおり、この国は世界で初めてキリスト教を国教とした国ですが、ここではアルメニア正教の存在がやんわりと社会的モラルの支えになっている気がします。私のみるところ、決してアルメニア人の大半は宗教に熱心だとは思いません。ただ多くの人々(少なくとも年配の人々)が、宗教的なモラルを持ち続けているように思います。
私はコーカサスの先史時代(文字資料の存在しないの太古の歴史)に興味をもち、アルメニアを中心に調査・研究を行っています(写真8)。西アジアの北に隣接するコーカサス地域は、伝統的に西アジア文明の辺境の地として理解されてきました。しかし、西アジアと頻繁に交流していたことは事実ですが、周辺地域とは異なるコーカサス独自(またはコーカサス3国それぞれ独特)の文化が過去に存在したことも確かです。こうしたコーカサスの地域文化の解明に光をあてていくことは大事だと思っています。
今回のプログラムの一環で、エレバン国立大学の考古学専攻の学生を対象としたセミナー・ワークショップを開いています。学生から、アルメニアでは考古学で必要とされる実技を学ぶ機会がほとんどないことをよく聞きます。これはちょっと不思議です。アルメニアでは比較的多くの発掘調査が行われています。また外国隊の調査も活発で、2012年現在、この国で活動している外国隊の数は12に及びます。こうしたアルメニア人や外国隊の調査にアルメニア人学生も積極的に参加しており、いろいろな考古学の技術を学ぶ絶好の機会となっています。しかし私が見たところ、アルメニアの学生はあくまで現場の労働力として参加するだけで満足してしまい、せっかくの学べる機会を生かし切れていない。一方、調査隊の側にも問題があります。現場で学生に技術を教えようという発掘隊がほとんどありません。たしかに、限られた時間内の調査に、学生の教育まで含めることはなかなか難しいことです。どうしても調査スピードが優先されてしまいます。
今回幸いにも長期派遣となり、アルメニアの学生たちと接する時間を多くとることができました。彼らとの会話の結果、特にニーズの高い考古学の図面作成について、数回にわたって、セミナーとワークショップを行うことにしました。私自身が将来調査をする際に、一緒に調査することになるアルメニアの若手考古学者のスキルアップは、(私が現場で楽するためにも)必要なことですし、彼らが自分たちで調査をするようになれば必ず役に立つことです。
セミナー・ワークショップを開催するまでは、せいぜい来るのは研究所によく顔を出している4、5人だろうと思っていました。しかし始めてみると、参加者は20名ほどにもなり、場所の問題で、数回に分けなければならないほどでした(写真9)。専門もいろいろでした。旧石器時代から中世の考古学まで、さまざま。女の子が大半だというのも特徴的です。実際、考古学専攻の学生に女性が多い国はたくさんありますが(逆に男性が多い日本が特殊なくらい)、アルメニアの考古学研究者にも女性は多いです。また、女子のほうが真面目で、こういったセミナーやワークショップに積極的に参加するのも大半が女子です(写真10)。男子学生はそのへんで煙草を吸ってぷらぷらしているのが多い。話は少しそれますが、長期滞在というのを活かして、今年は様々な発掘現場を訪れました。先日、アルメニアの古都ドゥビン(Dvin)の発掘調査を見に行きました。ここはアルメニア隊による調査ですがが、下は大学院生から上は発掘団長まで7名全員女性でした。ほんとうに女性の考古学者が多いです。
ワークショップを開いていて面白かったのは、ちょっと理解しただけで、どんどん勝手に作図をする学生が多いことでした。積極的といえば積極的ですが、悪く言えば、人の話を聞かない、深く考えずに進めてしまうということです(これは学生に限らず、アルメニア人と接していて日常頻繁に遭遇する気がします)。当然、初めての作図ですから、上手いわけがない。作図の教え方一つをとっても、日本人に教えるのとアルメニア人に教えるのとでは、ポイントを変えなければいけないなと感じました。ともかくいい経験になりました。彼らがマスターするにはまだ時間がかかりそうですが、私の滞在の残り数か月、いっしょに頑張っていこうと思います。
私自身の目下のテーマは、今から1万年ほど前に氷河期が終わり、現在まで続く温暖期に入ったときに、アルメニアをはじめとするコーカサスの人間社会ではどういう変化が起こったのかを探ることです。コーカサスに隣接する西アジアでは、この間に農耕牧畜の開始という人間社会を大きく変化させる生業の変化が起きています。今のところ、アルメニアで西アジアより先に農耕牧畜が始まった証拠はほとんどありません。しかし、この地で栽培された作物は多く、アルメニアをはじめとするコーカサスが農耕牧畜の2次的な中心地であった可能性は高いと思っています。ワークショップに来ている学生たちがすっかり考古学的な技術を身につけて、そんな彼らと将来調査ができることを小さな楽しみにしています。