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着任のご挨拶:野澤豊一

 私の専門は文化人類学で、特に音楽文化に関心をもっています。中学・高校時代には英米圏のロックにハマり、大学生時代にはいわゆる「ブラック・ミュージック」に熱中しているうちに、徐々にアメリカの黒人音楽文化の基層について関心をもつようになりました。それらの音楽を生み出したり、全身で楽しむ人びとの身体と感性がいかに形成されるのか。一般の人びとのレベルではどのような音楽実践が積み重ねられているのか。――文化人類学を専攻して音楽文化の研究を志したのは、そうしたことを実際に見て、経験することで、"わかりたい"と考えたからです。

 私はこれまでに、アメリカ中西部の中規模都市セントルイスを中心に、のべ2年弱ほど黒人教会のフィールドワークを実施してきました。アメリカ黒人教会の音楽といえば、日本では「ブラック・ゴスペル」が音楽ジャンルの一つとして認識されていますが、フィールドワークをしていて特に面白いのは、実際の礼拝儀礼の場では、演奏や歌唱と渾然一体となって、信者のトランスダンスや熱狂的な発話、身体表現が起こるということです。そうした場面を目の当たりにすると、音楽活動が社会的な存在である人間にとっていかにパワフルな影響力をもちうるかということを思い知らされ、人間社会にとって音楽的活動という身体の営みはいかなる意義をもちうるのかということを考えさせられます。具体的には、たとえば「かたり」と「うた」の境界のありか、音楽が複数の身体を共振させるという現象の解釈、音や身ぶりを介した即興的なやりとりと私たちの日常的なコミュニケーションの間に見いだせるつながり、うたやダンスや憑依といった表現とそれが起こる身体の内側にあるとされる感情のつながりなどについて、これまで考察をしてきました。以上のような問題は、人間の音楽実践にとって根本的な重要性をもつにもかかわらず、これまで必ずしも正面から論じられてこなかったように思えます。私は東アフリカのウガンダでも伝統音楽の中期的なフィールドワークをしてきましたが、そちらでも似たような問題意識で調査にあたっています。

 ところで、アメリカの黒人教会の場合、以上のような実践は確かに「異文化」のものでありながら、それを支える音楽的イディオムの大半も、それが行われている広い意味での社会的文脈も、きわめて近代的なものです。つまり、私たち現代の日本人にとっても「遠い、けれども近い」ものといえます。そうした理由も手伝ってか、大学院を修了してからは日本の地域芸能にも関心をもちはじめ、石川県の太鼓芸能や富山県の獅子舞に関するフィールドワークも少しずつ進めています。いずれも、地域にとってこの上なく貴重な文化資源でありながら、過疎化や関心の希薄化のために、存続すら難しいものも多いという印象です。この理由は日本社会の隅々にまで広がる近代化というごく全体的なもので、私たちにできることはほんのわずかですらないようにも思えます。しかし、地域芸能がローカルな社会にとってもつ「かけがえのなさ」を、十分に、なおかつわかりやすく概念化することも、文化資源学に課せられた重要な使命のはずです。本センターがこうしたローカルな文化資源を見直すためのプラットフォームになることを目指しながら、未来の人類学や音楽研究に可能なことを模索していきたいと思います。

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