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平成27年度 JICA課題別研修 「中米 地域資源としてのマヤ文明遺跡の保存と活用」の奈良研修に同行して  

                            金沢大学新学術創成研究機構・助教 谷川 竜一

 2015年10月から約1ヶ月間、中米のグァマテラ、ホンジュラス、エル・サルバドルの3カ国より世界遺産マネジメントの責任者や、文化遺産観光政策の立案などに携わる専門家らが、JICAの支援を受けて来日した。中村誠一教授の指導・協力の下で、「中米 地域資源としてのマヤ文明遺跡の保存と活用」プログラムに参加するためである。本プログラムは今年で3回目であり、中村誠一教授も所属する新学術創成研究機構・文化遺産国際協力ネットワーキングユニットの取り組みの一つでもある。

 具体的には、研修参加者に金沢を中心に日本の文化遺産の保全と活用の現状を視察してもらい、それぞれの国や地域にあったアクションプランやレポートを最終日までに作成してもらう。それにより、各国の文化遺産をより適切に保存・活用していくための知見を日本側が提供し、ひいては日本の文化遺産関連事業の国際的貢献を促進することを狙いとしている。本レポートは、プログラム内で短期調査として組まれた2日間の奈良研修を報告するものである。

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 奈良研修1日目午前は、奈良の古建築や遺跡はもちろん、日本全国の文化遺産の保存・活用に関して中心的な役割を果たしてきた国立文化財機構・奈良文化財研究所(以下、奈文研)において、杉山洋氏、景山悦子氏、佐藤由似氏らの専門家の講義・解説を受けた。講義では、日本国内における奈文研の位置づけや、奈文研内の組織および担当内容の紹介に始まり、発掘や復元などの具体的業務の解説にいたるまで、奈文研の手掛ける文化遺産関連事業が包括的に説明された。

 私が印象に残ったのは、杉山氏がお話された過去の建造物の復元事業の多様性である。「日本の文化遺産は基本的に木造が多く、マヤの遺跡で見られるような石造の構築物と比べると、なかなか残りにくい」という。発掘では建築の上部構造はほとんど出てこない。それにもかかわらず、建築全体を復元するとなると困難を伴う。奈文研が近年手がけた平城京の大極殿や朱雀門のような復元は、そうした状況下で可能な限り情報や技術をそろえ、新築したものだ。しかしそのように完全に復元しないまでも、建築の存在を現代の人々に伝えるために、柱があったであろう場所に樹木を植え、その樹木を柱に見立ててもらうことで、過去の建築の存在を感じてもらう手法や、柱を腰の高さくらいまで復元するにとどめておくといった手法もあるという。

 これに対して数名の研修参加者から「完全に復元したり、あるいは失われた箇所を修復したりする際に、どうやって原形を推測しているのか」という質問がでた。杉山氏の回答は「復元しようとする建築物と同時代のものが奈良をはじめ、日本各地に残っている場合がある。それを参照する。例えば奈良時代であれば、薬師寺の東塔のように現存する建築は重要な資料となる」というものであった。質問者を含め、研修参加者の多くが向き合うマヤ文明の遺跡は、近代的な国境を越えて中米各地に点在している。それらの復元や修復を行うには、各国相互の連携の下で日本のような精緻な情報ストックを作ることが必要だ。本プログラムの目的のひとつは、そうした連携に向けて専門家同士の顔の見える関係を築くことでもある。国境を越えた情報ストックの重要性を、国籍のことなる研修参加者同士で確認したという点は、連携に向けた大きな成果だったと思われる。

  1日目の午後からは、奈文研内の平城宮跡資料館を見学し、復元された大極殿と朱雀門、さらに朱雀門の傍にある平城京歴史館を視察した。多くの研修参加者の関心を強くひいたのは、平城京歴史館における平城京の復元巨大アニメーションであった。平城京は一つの大きな都市であり、それを現代にすべて復元することはできない。映像は擬似的にその空間を体験できるツールでもある。ストーリーをもったアニメーション仕立てとなっている点も、「日本らしい」ものだったのかもしれない。館内にあった一般来館者のコメント欄には、アニメーションが楽しかったという意見が多く、ハードウェアとしての文化遺産の復元と、それを補完し、時にそれ以上の面白さを提供する映像のようなソフトウェアツールを複合的に活用しているよい事例として受けとめることができた。古代都市・平城京の歴史を感じる上で、多様な手法を織り交ぜて使うことの有効性がよく伝わってくるものであった。

  2日目は、奈良県観光局のサンドア芳香氏の協力のもとで、東大寺と春日大社を訪れた。 東大寺では寺務所・鈴木公成氏による講義を受けた。鈴木氏の話のポイントは、東大寺を単に文化財として見ることは適切ではない、ということであった。そのためには、三つの時代の転換点―天然痘が流行した聖武天皇の時代、重源らが腕を揮った平安貴族から鎌倉武士たちへの激動の時代、そして16世紀の戦乱を経て再建された現在にまで残る大仏殿の時代―に対する理解が必要だという。つまり東大寺は、社会の災害の記憶を物語るものであり、それによって亡くなった人々の命に関わる場所なのだ。したがって、鈴木氏はやってくる人々を、遊びに来ている観光客ではなく、お参りに来ている人々として捉えており、東大寺を文化財や美術品としてではなく、信仰の場として認識しているという。 ここでも研修参加者の好奇心は旺盛で、鋭い質問が矢継ぎ早に飛ぶ。
「なぜ堂内の柱の穴を、子どもたちがさかんにくぐり抜けているのか」
「仏教以外の宗教によって、お参りの仕方やルートを分けているのか」
「観光と信仰のジレンマは感じないか。それをどう考えるか」
  鈴木氏は、そうした宗教的な区別をしていないこと、もちろんジレンマはあることを丁寧に説明された。そして次のように話を続ける。柱をくぐってはしゃいでいる子どもたちの行為は、純粋に信仰とは言いがたいかもしれない。柱をくぐるのは、無病息災のご利益を得られるなど、一般に流布している良い言い伝えがあるからだが、正確な意味や由来はよく分かっていない。しかし、よく考えるとそれも大切なことだ。なぜなら、東大寺に来て、巨大な大仏に驚き、そこで大仏の鼻の穴と同じ大きさの柱の穴をくぐったという記憶を、おそらく東大寺に来た誰もが持ち帰っていることだろう。特に柱の穴くぐりなどは、子どもの頃に大仏と交わした一種の身体的なちぎりの記憶として残る。その記憶は、後の人生の様々な局面で、仏教について触れあう機会をもった時、自分固有の確かな記憶や思考の手がかりとして機能するだろう。以上のようにおっしゃったが、確かにその通りである。

 午後は、春日大社に向かった。春日大社からは渉外部渉外課長・権禰宜の千鳥祐兼氏が、説明・解説をして下さった。千鳥氏とともに歩く参道の両サイドには、深緑の苔が生えた灯籠が何百基と並んでいる。灯籠に彫られた文字からは、様々な時代に、多様な人々によって奉納されてきたことが分かる。その意味で参道は完成形としてではなく、人々の願いを含み込んで、変化していっていると言えるだろう。手を清めてさらに進む。 「ここが、御蓋山に集う神々をお参りすることころです」 日本の神は自然そのものに宿るが、特にこの山から神々の力が流れ出て、それが平城宮まで続いているという話には、一同深く感じ入っていた。前日に壮麗な平城宮の大極殿を見てきたところだから、なおさらだろう。さらに進むと、樹齢1000年近い巨大な杉がある。

  このように見てくると、平城宮の遺跡や東大寺の伽藍とは異なり、春日大社がいにしえの「いわれ」の付着した自然そのもので構成されていることが際立って理解出来る。平城宮の大極殿は現代に復元されたし、東大寺は焼け落ちても中世と近世にそれぞれ再建されている。私たちは今も昔も建物を重要視しているわけだが、一方でそういった具体的な人工物の連続とは異なる抽象的なつながりを、春日大社では自然と人間のつきあいとして、見出すことができるだろう。東大寺や春日大社が、現代に息づく古い文化の一つとして、あるいは遺産という言葉を使うなら、生きている遺産として存在していることが、よくわかった。

 以上のように、奈良研修は、学術・教育的な文化遺産の保存・活用手法から、生きている文化としての遺産の姿までを、極めて明快に理解する機会となったと思う。 余談だが、私が印象に残っているのは、1日目に平城宮の中を電車が走っている景観に対して、研修参加者の意見が賛否多様に分かれたことだ。文化遺産を巡る考え方は、どこの地域でもいろいろな意見に分かれるものだろう。どの時代の何を評価し、誰の意見を尊重するのかということに確たる正解はない。ただ、今回の研修のように、文化遺産と向き合う専門家や、宗教の実践者のお話を丁寧にうかがい、そうした人々が誠実かつ真摯で、そして寛容な視点を持っていれば持っているほど、その話は聞く者に確かに響く。そうした意味で、今後もこうした取り組みが広く、長く行われていくことを願う。 末筆ながら、奈良文化財研究所、東大寺、春日大社の関係者の方々には大変お世話になりました。御礼申し上げます。また、奈良県観光局のご協力の下で、本視察が充実したものとなりました。サンドア氏とお話する中で、奈良県も大変精力的に活動されていることが分かり、奈良出身の私としましては、大変心強く、たくさんの刺激を受けました。感謝申し上げます。


図1 大極殿の空間やその展示もゆっくり見ることができた


図2 春日大社で解説に熱心に耳を傾ける研修参加者

 

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