ニュース
- ホーム
- コラム一覧
- リヨンでの国際会議に参加
リヨンでの国際会議に参加
今回は、2013年11月28-29日にかけて、フランスのリヨンで開催された国際会議「完新世の南コーカサスにおける環境と社会」に参加した感想などを書きたいと思います。二国間交流事業の一環として研究発表と関係者との情報交換を行ってきました。
食の都リヨン
フランス第二の都市リヨン(写真1)。フランス中東部の街で、商業・文化の中心地として古くから栄えています。また、美食の街として知られ、ミシュランの星付きレストランも数多くありますが、街中のちょっとしたレストランでもこってりとした典型的なフランス料理を楽しむことができます。ついでにリヨンの名物料理も紹介しておきましょう。クネル(quenelle)です(写真2)。魚のすり身を固めて蒸したものにソースがかけられた料理で、フレンチのハンペンといったところでしょうか。内陸部のリヨンでは新鮮な魚が手に入りにくかったために作られた料理なのだとか。毎回リヨンに来たら儀式のように食べていますが、そのボリュームと味の単調さから、いつも途中で飽きてしまいます。正直なところあまり好きではありません。
私はかつてリヨンのリュミエール大学の大学院に在籍していました。数年にわたるフランス滞在は、決して楽なものではありませんでしたが、海外で外国人として暮らすという経験は自分に大きな影響を与えたと思います。
リヨンはパリほど大きくもなく手ごろな大きさの街で、移動するにも何か買うにも便利で、とても暮らしやすいところだと思います。長年住んでいたこともあり、また恩師や古い友人たちに会えることもあって、毎回リヨンに帰ることを楽しみにしています。
コーカサス会議:「完新世の南コーカサスにおける環境と社会」
写真3 国際会議「完新世の
南コーカサスにおける環境と社会」の案内
会議はフランスCNRS(国立科学研究センター)の主催(代表者ピエール・ランバート、クリスティン・シャテニエ)で、コーカサス3国において考古学調査や研究を行っているフランスの全調査隊とその協力相手であるコーカサス3国の代表者が集められました。私自身は、アルメニアでフランス・アルメニア隊と一緒に調査してきた経緯から参加することになりました。
本会議のタイトルは「完新世の南コーカサスにおける環境と社会」(写真3)。会議場は、オリエント・地中海研究所でした(写真4)。研究所のロゴマークは、古代キプロスの土器に描かれた魚をくわえる鳥です(写真4、5)。この研究所は1975年に創設され、西アジア(中東)や地中海世界を舞台とした様々な人文学研究が行われてきました。私がリヨンに留学を決めたのもこの研究所があったからで、大学院在籍時に毎日通っていた懐かしい場所です。
フランスは国家として、コーカサスを地政学的に重要な地域としてとらえ、CNRSを中心とした国立の研究機関に所属する研究者が、コーカサス3国で調査研究を行うことを重点的に支援してきました。今回の国際会議は、こうした過去数年間の調査・研究の成果を総括する場でもありました。
蓋を開けてみれば・・・
今回のコーカサス会議の特色の1つは、コーカサス3国、つまりアルメニア、グルジア、アゼルバイジャンの考古学研究(または考古学行政)のトップが招待されたことでした。ご存じのとおり、コーカサス3国の内、アルメニアとアゼルバイジャンは1988~1994年のナゴルノ・カラバフ紛争を発端とする領土問題を抱えており、両国の研究者が顔を合わせることはほとんどありません。しかし、かつては旧ソ連を構成する共和国同士で、旧ソ連時代以来の研究者間の交流は今でも続いているとよく耳にしていました。今回はリヨンというコーカサス外の国際会議でもあるし、コーカサス3国の研究者がきっとそろい踏みするだろうと思われていました。
しかし残念ながら、会議直前になって、アゼルバイジャンから来る予定だった研究者の参加がキャンセルになりました。理由は明らかではありません。会議開始にあたり、各国代表による挨拶が行われましたが、アゼルバイジャン代表はフランスに留学中のアゼルバイジャン人学生が代わりに行いました(写真6)。
会議中のコーヒーブレイクや夜の食事会で様子を見ていましたが、コーカサス3国間の研究者同士のコミュニケーションはあまり活発ではなく、同国人同士でかたまっている姿が目に付きました。いまさらながらコーカサス3国間の交流が活発でない様を再確認することになりました。コーカサスの文化遺産を「文化資源」として活用し、コーカサス3国の対話を促すという取り組みは、実際のところかなり難しいようです。
質問は多かったけれど・・・
2日間にわたる会議は、大きく6つのセッションから成り、1日の最終セッションの後に、総合討議の時間が設けられました。セッションは以下の通りです。1.植生と気候、2.テクトニクス、火山活動、景観、3.環境危機と文化変化、4.セトルメント・パターン、5.鉄器時代、6.新石器時代。会議の前半には自然科学の発表が集中しました。本会議のタイトルが示すように、本会議の趣旨は自然科学の研究成果と考古学研究の成果がいかに関連するか、またはしないのかといったことを議論することでした。
会議中、質疑応答の時間にたくさんの質問が出ました。しかし、会議が終わってみれば、結局、自然科学と考古学の研究成果がクロスする話題はあまりなかったように思います。1つには、南コーカサスの考古学の情報が極端に少ないために、自然科学の成果を検証するデータがまだ出そろっていないということがあるかと思います。もう1つは、やはり文理の分離です。本会議に参加している自然科学の研究者たちは、コーカサスの古代文化に興味があって、考古学者とプロジェクトを共同で行っているはずなのですが、実際には、自然科学者と考古学者の調査がそれぞれの興味に基づいて別々に行われているために、うまくかみ合った成果が出ていないように思われました。会議全体を通して、事実確認や方法論にばかりに話が集まり、深い議論が少なかった印象があります。
さて、私自身は、2日目の「新石器時代」のセッションで「今後の南コーカサス新石器時代研究の2つの方向性」について発表を行いました(写真7)。恩師も一番前で聞いていてくれて、発表後のコーヒーブレイクで珍しく褒められました。恩師も歳をとって丸くなられました。博士論文の指導を受けていた時は、論理的でない、フランス語がつたない、といつも怒られていましたから。
その後、総合討論の司会をキャロリン・アモン、エマニュエル・ヴィラと私の3人で務めることになりました。ここまで、あまり特定のテーマに沿った議論がなかったので、この総合討論の場ではテーマを一つ会場の参加者に振ることにしました。テーマは、「コーカサスにおける完新世初頭の文化(つまり新石器文化)の起源について、今どのように考えることができるか」にしました。
4~5人からコメントがありましたが、内容はほとんど同じでした。各地域にはそれぞれに固有の文化がある、文化の起源は当然その地にあるというような意見です。つまりコーカサス新石器文化の在地起源説です。これには少し意外な感じがしました。コーカサスの考古学では、西アジアからの影響が(やや過大に)評価されることが多く、コーカサスの新石器文化も西アジア起源であると考える研究者が多数派だと思っていたからです。こうしてざっくばらんに意見交換ができるのも国際会議ならではです。
今回のコーカサス会議の発表内容については、来年以降、雑誌Quaternary Internationalの特集号に掲載される予定です。