コパン考古学プロジェクト:7号神殿発掘調査成果の概報(2)~ 7号神殿の前に置かれている祭壇について

国際文化資源学研究センター教授
中村誠一
(2019/5/27)


 発掘調査の進む7号神殿(建造物10L-7)の前面(東側正面)には、現在、5つの祭壇が置かれている。円形の彫刻のない祭壇が一つ、彫刻のある祭壇が、B‘, C’, D’, Oの4つである。A.モーズレイが19世紀の末にこの建造物を撮影した写真(Maudslay 1898-1902, Plate 113)が残されており、 そこでは位置はやや異なるものの5つともに確認できる。円形の彫刻のない祭壇は、コパン遺跡内にしばしばみられるが、過去の調査員によって重視された形跡がなく、その位置も数も、すべてが正確に記録されているのかどうかも疑わしい。この建造物の前におかれている円形祭壇の場合も、彫刻がないという理由だと思われるが、番号やアルファベットの記名がない。

19世紀に撮影された神殿7号付近
図1:19世紀に撮影された神殿7号付近
*出典:Maudslay, Alfred P. ,1898-1902 Archaeology, Biología Centrali-Americana. London.


 彫刻のある4つの祭壇のうち、A.モーズレイは祭壇D’と祭壇Oの図版を残している(Plate 114 a~e)。一方、S.モーレイは1920年の著作の中で、マヤ文字および暦の刻まれた祭壇B’, C’, D’ について考察するとともに、祭壇B’, C’ に関しては図版も残している(Morley 1920:291-294, Plate 22 a, b)。S.モーレイは、A.モーズレイの写真(注:モーレイはピーボディ博物館によって1894年に撮影された写真としている)およびピーボディ博物館に保管されているレプリカ(No. C.2662)には残されていた3つのパーツからなる祭壇C’ の両側部分の2つが、彼がコパン遺跡へやって来た1915年までの間になくなっていたことから、これらの祭壇が受けた被害について記載している(Morley 1920:291-292)。残念ながら、現在ではさらに被害が進み、S.モーレイの図版に残されている祭壇B’ およびC’ の一部が建造物の前に残されているだけである。

祭壇B’の現状
写真1:祭壇B’の現状
(中村誠一撮影)


祭壇B’(別角度から)と祭壇C’(左)
写真2:祭壇B’(別角度から)と祭壇C’(左)
(中村誠一撮影)


 これらの祭壇の日付だが、S.モーレイが与えた日付とW.ファーシュ、R.アグールシアが考える祭壇の日付には差異がある。祭壇Oには日付は刻まれていないが、その形と羽毛の生えた蛇の図像が大広場にある祭壇G1(9.18.10.0.0 西暦810年)と共通していることから、ヤシュ・パサフの時代に彫られたものかもしれない。祭壇B’ 祭壇C’ は様式が極めて似ていることや、すでに散逸してしまった祭壇C’ の文字部分にヤシュ・パサフの名前が見られることから、ヤシュ・パサフの時代に彫られたものと考えられる。祭壇D’(別名、祭壇41) には13アハウという文字が刻まれており、モーレイは別の解釈をするが、これが期間の完了を示すとすれば、9.17.0.0.0のカトゥン記念日(13アハウ18クムクにあたる西暦771年)に彫られたことになり、やはりヤシュ・パサフの時代のものである(Fash and Agurcia 2007:41)。

祭壇D’ 一番左が13アハウの文字
写真3:祭壇D’一番左が13アハウの文字
(中村誠一撮影)


 一方、カーネギー時代にコパンプロジェクトの指揮を執ったストリョーンスビックが執筆したコパン遺跡ガイドブック(Stromsvik 1946)には、祭壇Oと祭壇D‘ に関する説明が出てくる。祭壇Oのへこんだ部分は玉座だったという彼の解釈に関しては、推測の域を出ず論評はできないが、重要な情報として祭壇D’ が1941年に地元の会社によって修復されたと記載されていることである。モーレイの記録している通り、モーズレイやビーボディ博物館の探検隊によるコパン遺跡の調査以来、この遺跡で見つかった石碑や祭壇はかなりの被害を受けているが、この祭壇D’ に関しても例外でなく3つに割れた部分を修復してくっつけた痕跡が確認される。

祭壇O
写真4:祭壇O
(中村誠一撮影)


祭壇D’
写真5:祭壇D’
(中村誠一撮影)


 他の古代マヤ都市においても、一つの建造物(またはティカル北のアクロポリスのような建造物複合)の前に数多くの石碑や祭壇が建立されることは、その建造物(群)の重要性を暗示するが、建造物10L-7はその前に、コパンでは唯一5つの記念碑が置かれた建造物である。この意味においても、この建造物は特別な意味を持っていたに違いない。



<引用文献>
*Fash, W. and R. Agurcia
 - 2007 History carved in stone. 4th edition. Asociación Copán. Copán Ruinas, Honduras.
*Maudslay, Alfred P.
 - 1898-1902 Archaeology, Biología Centrali-Americana. London.
*Morley, S.G.
 - 1920 The Inscriptions at Copan Publication 219. Carnegie Institution of Washington : Washington, D.C.
*Stromsvik, Gustav
 - 1946 Guia de las Ruinas de Copán. Talleres Tip-Litográficos Aristón : Tegucigalpa, D.C.



 日々の発掘調査の様子は、SNSで逐次発信していきますのでそちらでご覧ください。

<SNS>
◆Facebook
 https://www.facebook.com/pg/kanazawamayaproject/
◆instagram
 https://www.instagram.com/kanazawamayaproject/
◆Twitter
 https://twitter.com/kanazawamayapro