研究生レポート:JICA「草の根技術協力事業」の2019年度本邦研修(8日目,9日目)

Miguel Ángel Echeverría Tager
(ミゲル・アンヘル・エチェベリア・タヘル)
(2019/10/15)

 台風が日本に直撃し、関東地域をはじめとする地域に被害を与えた後、私たち研修生は、緒方理彩氏とアレハンドロ・ファジャ氏とともに高山を訪問した。 すでに新幹線を体験していたが、高速道路は初めての経験であった。 ホンジュラスからの研修生であるクリスティアン・アギラール氏は、日本の高速道路は観光旅行を目的としたものではないのではないかということを指摘した。山の反対側にあるところに行くにはどうしたらよいだろうか。山を登り、反対側を下るという行程にかわって、高速道路を敷設するとしたら、その工程を省く必要が最もある山を我々も探しただろう。 日本人が山にトンネルを作っている現状を目の当たりにしたが、山岳地帯から来た私たちにとって、さして時間もかからずに山を抜けて反対側に到達することは目新しいことであった。 帰る途中で、トンネルの中で夕日を想像するだけでなく、実際に山の上から夕日を見ることができたらいいのにと思った。

 高山に着くと、高山市役所の畑尻広昌氏が市役所を案内してくれ、高山市の観光戦略について紹介してくれた。 彼は、人口減少と経済成長の統計的予測から説明を始めた。 グアテマラシティとは異なり、高山は人口の減少に直面している都市である。 この現状は、日本全体で同じような傾向が見られ、地方自治体が前もって考え、取り組まなければならない問題であるが、彼らが採用した観光戦略も、こうした状況に対処する計画としての一面を有するものであった。


高山市の観光戦略について講義する畑尻広昌氏


 畑尻氏の講義は、高山における観光名所の写真と説明を織り交ぜながら続いた。文化的な魅力、自然の魅力、美食の魅力などが中心に扱われた。

 その後、私たちが最初に訪れたのは、高山陣屋であった。高山陣屋は、国指定史跡として登録されている歴史的で政治的機能を有していた建造物である。その歴史的価値は、建造物そのものだけでなく、所有している資料のコレクションにもある。高山陣屋は、江戸時代にこの地域の行政機関であったため、歴史に関心のある人にとって価値のある司法や税の記録が保管されている。日本語は読めないが、この視察に同行する翻訳者は、スペイン語で私たちにいくつかの文書を読んでくれた。私たちに最も衝撃を与えたのは、暴動を導き斬首に処された人物の別れの手紙であった。罪をとがめられた人物は感情を前面に出していないが、妻と家族に対する愛を表現し、罰があたかも名誉であるかのように受け入れていた。東洋と西洋を隔てる文化的ギャップについて考えることを余儀なくされたが、西洋文化の中心にも、ギリシャの英雄やユダヤ人のように、時には死に値する運命に直面した人物に関する物語があると考えるに至った。


高山陣屋にてガイドの説明を翻訳する瀧達氏


 私が訪問したいと思っていた場所の一つは神社であった。私がすでに一人で行っていたとしても、他の研修生全員にその経験をしてもらいたかった。高山の繁華街の中でも混雑していない通りにある古風で趣のある小さなレストランで昼食に飛騨牛(観光客向けの美食の魅力として宣伝されている)を食べた後、緒方理彩氏に連れられて神社に行った。 彼女は、神社の入り口では儀礼的に手水を行うこと、祈る前に二拍を行うことで社内の神を召喚することを皆に説明した。 研修生の中には、それだけでなく、賽銭箱に硬貨を入れた後、お願い事をしてみた人もいた。敬虔なカトリックとしてのルーツを持つ一部の研修生にとって、他の宗教(キリスト教とは根本的に異なる宗教)が同じ権利で存在するという事実を認める機会を持つことは啓示であった。 私の個人的な成長のために、非常にかけがえのない時間となった。


八幡宮の階段を上る研修生と緒方理彩氏


 旅程の2日目は、どぶろく祭に参加するように白川郷を訪問した。それは、この機会に特別に用意された温かい日本酒や伝統音楽、伝統舞踊に満ちた祭りであった。

 私たちはまず、観光客の休憩所である白川道の駅に立ち寄った。ここは、白川郷の荻町に入る手前であった。研修生の一人であるカルロス・ゴンサレス氏は、岐路にて、この場所を通り抜けた際、この道の駅は神社の前で、村がまだ見えない場所にあるため、非常に便利で計画的な立地にあることを指摘した。私たちは博物館を訪問し、合掌造りとその建設の際の工程一通りを学んだ。博物館のガイドは、こうした合掌造りがどのように建てられ、それらを保存するためにどのような点に現在細心の注意を払っているのかを説明した。これらの家に目を向けた最初の西洋の建築家と同じように、日本人が住宅に関して創造的でとても論理的な着地点に至っていたことに驚いた。私たちが訪問したほとんどの歴史的建造物では手作りの美しい釘隠しのための金具を見る機会があったが、ここでは見られなかった。仲間の研修生の1人と私がこの事実に気づいた際、ツアーガイドは言語の壁を越えて、私たちの心を読んでいるかのように、このことについてコメンした。合掌造りを建築する際に釘は使用されていない。そのかわりに、栽培された天然繊維からロープを作り、それで結ばれている。釘も接着剤も使用されていないことは、とても印象的であった。そして、山における極寒の冬をしのぎ、暑い夏の夜に快適な睡眠をもたらしてくれる屋根の造りは、それそのものが合理的だといえるだろう。


白川道の駅にてガイドから合掌造り博物館に向けての説明を聞く研修生一行


 白川郷は、私たちが今まで訪れた中で最も美しい場所である。 山に囲まれ、川が流れる谷に足を運び、この村を初めて目にした光景は、誰もが忘れることのないイメージとなるに違いない。 雨が降り、空に雲が垂れ下がり、山の形がぼかされ、町に沿って曲がりくねった緑色の川が流れる光景は私たちが想像していたよりも美しいものであった。事前に受けた講義や雑誌で写真を見たことがあったが、雨が降りしきる中、山頂にある展望台で谷の全景を眺めながら実際に体感できた経験は、それらすべてを上回った。


雨の中、荻町を眺めるクリスティアン・アギラール氏


 実際に合掌造りを見るために、観光の一環として一般公開されている和田家を訪れた。本物の合掌造りの家をじっくりと見る機会を得ることができたのに加え、私たちは日本の家庭での生活の一部を見ることができた。台所や、寺社仏閣、そして屋根裏にカイコを飼っていた例の展示も見学することができた。和田家を訪れた後、私たちは荻町の主要な神社の境内で行われているどぶろく祭りを訪れた。雨が降りしきる中、伝統的な舞踊や今まで聞いたことのない音楽、特別な衣装や化粧、路地で調理されている様々な種類の魚介類など、さまざまな視覚情報が飛び込んできた。今思い出すと、尾崎達也氏が私たちにくれた日本酒の器は、これらとも何か関係があるかもしれない(私たちの中には、正式に受け取った最初の一杯を飲みきれなかった者もいた)。金沢へと向かうバスに戻った際、カルロス・ゴンサレス氏は、私たちが今参加したような祭りを行うことはグアテマラではできないだろうとコメントした。「日本酒、ビール、ラム酒などを無制限におかわりできるフィエスタ(祭り)を想像してみてください。酔いつぶれ、財布が空になるまで誰もが飲むので、グアテマラでの開催は不可能です!今回、私たちが見た中で完全に酔いつぶれていたのはたった一人でした。樽で酒を飲んでいた何百人もの参加者のうち、たった一人だけです。」とも驚いたように述べた。