考古学図鑑2014:課題ユニット「考古学と現代社会」のこれまで、これから3

  吉田 泰幸

「日本のポップスでも、若いバンドの子たちってほとんど洋楽を聴かないのね。(中略)だから、いまは本当に目も耳も内向きになっていて、そういう下地があるから、内向きの愛国心を呼びかけるシンちゃんみたいな人も出てくるんだと思うんだけど」

 これは坂本龍一・中沢新一『縄文聖地巡礼』(2010年、木楽舎)の中の坂本龍一さんの発言です(131頁)。今の世が内向き、右傾化しているのは洋楽聴いてないからだという、そんな無茶苦茶な、という説に聞こえなくもないですが、J-POPなどという言葉が生まれる以前、洋楽聴いている人の方が音楽好き、みたいな雰囲気の中で十代を過ごした身、研究の世界で頻繁に所謂「舶来の理論」の影響力を感じている身としては、そう言いたくなるのもちょっと分かるかも、と思える発言です。という訳で「考古学と現代社会」セミナーシリーズ第3・4回は日本考古学にとっての洋楽がテーマでした。

 「考古学と現代社会」セミナーシリーズ第3回は、2014年3月15日(土)に「現代『日本』考古学」と題して、英語圏で日本考古学を発信しているお二人をゲストスピーカーとしてお迎えしました。2016年に京都で開催される世界考古学会議(World Archaeological Congress、通称“WAC”)の議長でもある九州大学の溝口孝司先生と、そのWAC-8 Kyotoの運営母体であるWAC Japan事務局の中心的スタッフであり、近年『入門パブリック・アーケオロジー』(2012年、同成社、当時・英国・イーストアングリア大学、現・東京大学の松田陽先生との共著)を上梓された岡村勝行さんのお二人です。
 溝口先生には「現代日本の考古学、社会、アイデンティティ」と題して、日本考古学の現在地について、理論考古学の視座からお話しいただきました。頻出ワードは「コミュニケーション」、「殴る」、「ウヨ/サヨ」、「かわいい」で、これらは考古学と関係あるのか、と訝しく思われる方もいるかもしれませんが、あります(紙幅の都合で詳細は省きます)。岡村さんには「日本におけるパブリック・アーケオロジーを考える」と題して、なぜ今日本で「パブリック・アーケオロジー」という分野が立ち上がってきたのか、についてお話しいただきました。

 「対話」セクションでは英語圏で発信を続ける動機、「考古学」と“Archaeology”の違いなどが中心話題となりましたが、共通する問題意識は、学問というものはある種の「閉じ」がないとシステムとして体系化されないが、日本考古学はその「閉じ」具合が高い、ということでした。するとそれを「開く」時になぜわざわざ「英語」なのか、も問題になるのですが、溝口先生によると「母国語でもない、隣国の言葉でもない、第3の言語として、色々問題はあるけれど、英語でやったらどうか、ということです。日本考古学を専門として研究していない人が、比較対象として日本をとりいれることによって『違和感』という新しい風が日本考古学に吹くことを期待しています。」とのことでした。英国で学位までとった溝口先生が「色々問題はある」とする英語を公式言語としてWAC-8 Kyotoも開催されます。英語が支配的な状況にアンビバレンツな思いを抱えつつも、日本考古学の何かを変えるかもしれない違和感を楽しむのがWACなのかもしれません。そのためには、少しは洋楽も聴いておいた方がいいのでしょう。


 「考古学と現代社会」セミナーシリーズ第4回は、2014年10月26日(日)に「多様性・持続可能性と考古学」と題して、これまでの3回とは異なり、金沢市の四高記念文化交流館ではなく、金沢大学東京事務所の協力も得て、東京国立博物館小講堂にて出張開催しました。カリフォルニア大学バークレー校の羽生淳子先生と岡山大学の松本直子先生をお迎えしました。
 羽生淳子先生は京都にある総合地球環境学研究所にて、「地域に根ざした小規模経済活動と長期的持続可能性—歴史生態学からのアプローチ」というプロジェクトも主導しています。そのプロジェクトでの成果も含め、「食の多様性と文化の盛衰」と題してお話しいただきました。松本直子先生には「ジェンダー教育と考古学」と題してお話しいただきました。なぜ環境問題、食の多様性やジェンダー教育が考古学と関係あるのか、と訝しく思われる方もいるかもしれませんが、あります。お二人とも、こうした実社会の問題を考える際に、長期間の文化変化を扱う考古学が果たす役割は大きいことを力説されました。

 「対話」セクションの中で、羽生先生は今回の総合地球環境学研究所でのプロジェクトを発想する背景には、アメリカ西海岸バークレーの実験的なことを奨励する、新しい考えを出していこうとする気風が大きく影響していること、ポストモダン思想など、社会科学の動向や考古学を超えた学問全体の流れの中に自分の研究をどう位置付けるか、ということがあった、と話されたのが印象的でした。松本先生は支配的なジェンダー観に限らず、博物館展示など権威付けがされているものに対する批判的な見方を日本の中でどう養っていくのか、についての問題提起をされました。当たり前だと思っていることを本当にそうなのかと改めて見直す、というのは言うのは簡単ですが、なかなか難しいことです。これも『違和感』の力を借りるのが手っ取り早いでしょう。海外で生活したり、ところ変わればこんな考え方をしていることを知るために社会科学の洋書・訳書にいきなり手を出したり、というのはハードルが高すぎるならば、ところ変わればこんなものが流行ってるらしいという洋楽から始めてもいいかもしれません。

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