遺跡のテント博物館:ワディ・シャルマ1号遺跡(サウジアラビア)で試みたささやかな文化遺産学
藤井 純夫
この遺跡は、西アジアでコムギ・オオムギの栽培化やヒツジ・ヤギの家畜化、つまり農耕牧畜生活が始まってから数百年後の、先土器新石器文化B後期前半(紀元前7400〜7100年頃)に位置付けられます。調査は、緩丘陵の尾根筋に沿って設けた3つの発掘区で実施しました(図3)。遺跡北端の第1発掘区では方形・矩形の地上式石積み遺構群が、遺跡中程の第2発掘区では円形・楕円形の地上式または半地下式の石積み遺構群が、遺跡南端の第3発掘区では同じく円形・楕円形の主として半地下式の石積み遺構群が、それぞれ検出されました(図4〜6)。いずれも互いに壁を接して、面積約0.1〜0.2ヘクタールほどの細長い小型密集集落を形成していました。遺跡規模が小さいこと、集落の随所に入り口封鎖の風習が認められることなどから、定住集落では無く、季節的に住まわれた集落と考えられます。
出土遺物は、フリント製の打製石器や砂岩製の石臼・擦り石類が中心で、この他に石製容器、砥石、矢柄研磨機、貝製装身具などが含まれていました(図7)。遺物の内容・型式から見て、野生動物の狩猟とコムギ・オオムギなどの栽培農耕が、集落の生業であったと考えられます。出土動物骨の分析はまだ実施できていませんが、おそらくはヤギ・ヒツジなどの家畜飼養も行われていたと思われます。
第1発掘区(南西から)
第2発掘区(南西から)
第3発掘区(東から)
出土遺物(テントの解説パネルから)